吾輩は考えるニャンコである

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亡くなった人のためにできることは何だろうか

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こんにちは。ニャンさん@nyankodearuです。

 

年齢を重ねていくと、身近な人が亡くなるという体験をします。
私の場合は祖父母(まだ一人は存命)、仕事でかかわった人、また自分の大切な人も亡くしました。

 

そんな中、時々ふと思うのです。
亡くなった人のため、自分にできることは何なのか。

 

特にあまりいい形でお別れができなかった場合、後になって後悔しますよね。
だからその分、何か代わりにできることはないだろうかと。

 

少し考えてみたいと思います。

 

亡くなった人のためにできること

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時々は思い出す

私が最も重要視しているのは、シンプルにこれ。時々は思い出してあげることですね。

 

私は無神論者なので、宗教上の意味合いは全く意識していませんが、お墓参りや13回忌などといった風習は、こうした故人を偲ぶための集いとしてはとても良いと考えています。

 

人が生きる意味は二つある【ヒトとして、人間として】という記事でも述べていますが、私は人間という存在は生物としての生命活動から創発されたもう少し抽象的なものだと考えていて、「肉体の死」と「人間の存在としての死」は別個だと考えています。

 

私たちが故人を思い出すことで、たしかにその瞬間その人は「存在」し、私たちにも何らかの感情を与えてくれるのです。

 

皆が忘れない限り、故人の存在が死ぬことはありません。

 

その人の思い残したことを代わりに行う

死に間際に、何かを思い残したまま逝く方もいますよね。家族に対する不安などが多いでしょうか。

 

自分の可能な範囲内で、そういった意思は引き継いであげられるといいかもしれませんね。

 

私の価値観として、たとえどのような人であろうと、息を引き取る間際くらいは安堵した気持ちになってほしいと思っています。不安など残さず、自身の人生を全うしてほしいなと。

 

死後には精神は存在せず、もちろん不安も消えます。しかし、残された人々の生活は続きます。故人とその人たちの結びつきも消えるわけではありません。

 

故人が生きて成したかったことがあるならば、引き受けてあげてもいいかもしれませんね。繰り返しますが、「自分の可能な範囲内で」です。

 

自分が幸せになる

亡くなった人の分まで、自分が幸せになる。幸せの定義はこの場では置いておいて、自分が苦しむ姿など、故人も望んではいないでしょう。親しかった人であるならばなおさらです。

 

故人を想い、悲しむことも否定はしません。しかし、いつまでもそこで立ち止まっていると、逆に故人が悲しんでしまいますよ。

 

相手の立場になって考えると分かるでしょう。自分のことを想い悲しんでくれるのは嬉しいですが、それが相手の枷になってしまっては重荷です。

 

悲しみの後は、きちんと前を向いて歩いていきましょう。

 

まとめ

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こんなところでしょうか。

 

「亡くなった人のために何ができるか」。
こうしたことを頻回に考える方は、おそらくその故人と、あまりいい形でお別れができなかったのではと推察します。私がそうなので。

 

時間が経つにすれ、その人の存在が薄れていくのを感じます。薄情ながら、昔は毎日思い出していたのが、今では何かのきっかけがあれば…程度です。

 

それでも私にとって、その故人が大切な存在であることに変わりはなく、その人を思い出す時間はかけがえのないもの。

 

大切な故人と対話する時間、故人のメッセージを受け取る時間も大事にしたいですね。

 

それでは今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。