にゃんさんブログ

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「差別」という言葉の真の意味について。差別は社会に必要不可欠である

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こんにちは。ニャンさんです。

 

「差別」という言葉を聞くと、大半の人がネガティブなイメージを持ちますよね。

 

女性差別、人種差別、宗教差別…。
たしかに、世界中あらゆる場所で、様々な問題が生じています。それは事実です。

 

しかしながら、本来「差別」という言葉は悪い意味だけではありません。そもそも「差別」がなければ、社会はまともに機能しないものなのですよ。

 

真に平等な社会を実現するために、「差別」は必要不可欠です。

 

この記事では、

 

・「差別」という言葉の意味

・日常的に行われている「差別」

・「差別」が社会に必要な理由

・「差別」という言葉に対する過剰反応の害悪

 

について考えていきます。

 

「差別」という言葉の意味

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前回の記事 「差別」と「区別」の違いについて。具体例で説明します でも説明しましたが、再度「差別」という言葉の意味を確認しておきます。

 

ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。

引用:松村明(2006年).大辞林 第三版 三省堂

 

差をつけて区別し、さらには扱いにも違いをつけること。
まずは年齢、性別、人種などで区別し、さらに特定の対象の扱いに違いをつける。これが「差別」です。

 

「差別」という言葉を聞くと悪いイメージが浮かびがちですが、ここで勘違いしてはいけないのが、社会から排除するべきなのは「不当な差別」であり、「適切な差別」は絶対に必要であるということです。

 

「適切な差別」とは、私たちの日常にもごく当たり前に存在しています。

 

日常的に行われている差別

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私たちの日常でも、「適切な差別」というものはあらゆるところで行われています。

 

いくつか具体例を出していきましょう。

 

例1 公衆トイレ

一般的な公衆トイレは男子用と女子用に分けられていますよね。

これも「性別」で男と女に区別し、そして使用するトイレに違いをつけるという、一種の差別です。

 

例2 制服

学校の制服も「性別」で区別し、男と女で違うものを着用しますよね。

一般的な学生の制服ならば、男子は学ラン、女子はセーラー服などです。これも一種の差別になります。

 

例3 育児休暇

子持ちの方は詳しいでしょう、「育児休暇」という制度。取得の細かい要件は省略しますが、当然ながら子供がいない人は利用できませんよね。

子供の有無、また子供の年齢などで取得できるか否かを決定する、これも適切な差別の良い例です。

 

例4 税金

私たちが日常的に支払っている「税金」。しかし、支払っている額は各自で異なりますよね。

消費税は購入した物品やサービスの金額により決定されるし、所得税は所得金額により異なります。

あまりに当たり前すぎて気付きにくいですが、これもまぎれもない差別なのですよ。

 

「差別」が社会に必要な理由

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さて、ここまでは「差別」という言葉の意味について、また日常的に身の周りで行われている「差別」について見てきました。

 

このように「差別」という言葉は悪い意味に限らず、時には必要となるものです。

 

ここで重要になるのが、「差別」の必要性を認識すること、そして「平等」という言葉との関係性についてです。

 

平等に扱え!…と何かと怒る人がいますが、これはなかなか危険なこと。
すべての人に平等な扱いをしてしまえば、平等な社会は実現できないからです。

 

扱いを平等にして、不平等な社会を実現するのか
扱いを差別して、平等な社会を実現するのか

 

これらを混同してはいけません。

 

例えば、さきほども取り上げた税金の話。

 

  • 年収1500万円のエリートサラリーマン
  • 年収200万円の非正規労働者

 

両者は、当然ながら支払っている税金額が異なります。しかし、もし文字通り「差別のない平等な扱い」をした場合、どうなるでしょうか。

 

仮に徴収する年間の税金を、一律500万円としましょう。年収1500万円の人にとっては少ないぐらいですが、年収200万円の人は赤字になってしまい、生活ができませんよね。
これは極例ですが、文字通りの「平等な扱い」とはこのようなことを指す言葉です。

 

このように、「真に平等な扱い」など現代の日本社会にはほとんど存在しないし、すべきではありません。社会にとって「差別」は必要不可欠なものなのです。「差別」をすることで、「平等な生活」が実現するのです。

 

「差別」という言葉に対する過剰反応の害悪

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ここまで「差別」という言葉について、まどろっこしい説明をしてきました。

 

なぜこのような記事を書いたかというと、世の中には「差別」という言葉に対して悪いイメージを持ち、過剰反応を起こしてしまう人がいるからですね。そして、このような過剰反応は時に害悪となり得ます。

 

分かりやすいのは、女性差別に関して。
何らかの女性差別が取り上げられた場合、必ず現れるのが「男女の脳に違いは全くない」と主張する人々です。

 

男と女の脳に違いは全くないのだから、どの職業でも適正は同じはずだ。男らしさや女らしさなんてものは絶対に存在しない。こう主張する人が社会には大勢いるのです。

 

驚くべきことに、かなりの地位を持った脳科学の研究者までもがこうした主張をしています。しかも、感情的な意見で。

 

まず断言させていただきますが、男女の脳に違いはあります。当たり前の話ですが、もし本当の意味で違いがないのであれば、異性を好きになることすらありませんよ。

 

ここで重要なのは、論じているのはあくまで「違い」であって、「優劣」ではないということ。そして、必ず個体差も存在する。これらを理解すべきです。

 

そして、このような「性別や人種による特性の違い」を研究することは、極めて重要なこと。「適切な差別」をするためには、それぞれの違いにより正しく区別をする必要があるからです。

 

つまり、「男女の脳に違いは全くない」などの感情的な意見は、真に平等な社会を実現するための足を引っ張ることになるのですよ。

 

非難されるべきは、人種差別による迫害や、女性差別による職業の制限など、本人たちにはどうすることもできない性質により「不当に差別される」ことなのです。

 

なので、「差別」という言葉を正しく理解しましょう…と主張したのでした。