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神の存在を否定することはできない

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こんにちは。ニャンさん@nyankodearuです。

 

近年、イスラム過激派によるテロリズムが多発しています。また、人類の歴史をさかのぼると、宗教に関連した惨劇というものは数多く生じていますね。

 

これに対し、現代では宗教の存在意義についての議論がさかんに行われており、さらには科学者による「神の存在」の否定がなされることもあります。

 

最も積極的な活動をしているのは生物学者のリチャード・ドーキンスでしょうか。
TEDでも視聴できるので、ぜひどうぞ。

Richard Dawkins|Militant atheism

 

さて、本題に入ります。
神というものの存在、あなたは信じますか?

 

そもそも神とはなにを意味するのでしょうか。

 

聖書にしるされているように、人間を創造したものの存在?
しかしそれは、チャールズ・ダーウィンの進化論により否定されています。われわれホモ・サピエンスは、自然淘汰を経てチンパンジーと共通の祖から進化した種族です。

 

もしくは、敬虔な信者のみが体感することを許された、常人には理解できない思念体のような存在?
残念ながら、これも科学者には「幻覚だ」と一蹴されてしまうでしょう。

 

現代において神はどのような位置づけなのでしょう。私たちは、科学の力をもとに合理的な社会を実現するため、古き文化が生み出した神という存在を否定すべきなのでしょうか。


私はそうは思いません。

 

もしも身近に神を信じている人がいたとしても、私はその人を否定はしません(社会に害を与えない限り)。そして、神の存在を否定することもできないと考えています。

 

なぜなら、神の存在を信じている人にとっては、その人の世界において、それが真実だからです。他人が体感している世界を否定するということは、科学の力をもってしても容易ではありません。

 

少しまどろっこしい表現をしましたが、説明していきます。

 

神の存在を否定することはできない

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はじめに述べておきますが、私は特定の宗教団体に所属はしていませんし、神の存在を感じたことはありません。なので、私が感じている世界には神は存在しないのでしょう。

 

では、神の存在を感じたことがあり、心の底から信じている、そんな人の場合はどうでしょうか。脳科学の知識を用いて否定するのは簡単だと言う方もいるかもしれませんが、意外とそうでもないのですよ。

 

少し回りくどいようですが、いくつか例を出して説明していきます。

 

例えば、りんごの色。りんごはい、正常な色覚がある人ならば皆そう答えますよね。これに異論はないと思います。

 

しかしですね、私がりんごを見て感じている「」がどのような色か、この体感しているそのもの(質感)を、私は他人に伝えることができません。「血のような赤」などと比喩することはできますが、血の色を説明する手段もないため、本質的な解決にはならないのです。

 

つまり、他人がりんごを見て感じている「赤」が、私の感じている「赤」と同じか否かは、判断することが不可能なのです。

 

このように「質感」というものは共有することができず、他人が体感している世界を知ることは叶わぬもの。これは突き詰めていくとクオリア問題と呼ばれるものにぶち当たるのですが、科学では解決困難なハードプロブレムに位置づけられているのです。

 

ここでもう一つ、色を題材にさらに踏み込んだ例を挙げてみましょう。私たち人間が色として見える光(可視光線)の波長はおおむね400~800nm程度です。400nm付近の光は紫に見え、800nm付近の色は赤に見える。これは正常の色覚です。

 

しかし、これはあくまで人間の場合のお話です。例えば、私たちの身の周りにいる

 

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彼らは400nm以下の光(紫外線)や、800nm以上の光(赤外線)の色も知覚できる能力を有しており、私たちとは体感している世界が全く異なるのです。

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さて、ここでも大きな疑問が発生します。
蝶は紫外線や赤外線の色が見えている。しかし、彼らが知覚しているその色は、はたして存在すると言えるのでしょうか?

 

紫外線・赤外線という光は存在しています。しかし、その光の色は私たち人間には見えません。それを知覚する機能がわれわれには備わっていないからです。

 

つまり、紫外線・赤外線の色は、私たち人間にとっては存在しないし、蝶にとっては存在する。こういった結論になりますよね。

 

少し極端な例を出しましたが、このように種族によって体感している世界は全く異なるもの。そして重要になるのが、同じ種族においても、個体差というものは確実に存在するということです。

 

長くなりましたが、ここで神の話に戻りましょう。

 

「神の存在を感じる」

「神の存在を信じている」

 

そういった人々の言葉を、無下に否定する…という行為は少し配慮に欠けると思います。他人の精神、信念を真に理解するということは容易なものではありませんし、それは相手の世界そのものを否定することにもつながります。

 

私には神の存在を感じ取ることは出来なくとも、その人も同じとは限らないのです。

 

さらにもう一つ重要なことを付け加えると、脳の側頭葉(特に左側)には神や宗教的な事柄を認知するための領域、通常「神モジュール」が存在するのではと推測されています。

 

神経科学の第一人者ラマ・チャンドランによると、側頭葉てんかん患者などこの領域に過活動が見られたものは、何かしらの霊的体験を述べたとのこと。つまり、一部の人たちの側頭葉は特殊な活動をしており、実際に神などの霊的な存在を体感している可能性があるということです。

 

さきほどの蝶の問題と同様、神の存在を信じ体感している人にとっては、その人の世界において、それはきっと真実なのでしょう。

 

繰り返しになりますが、他者が体感している世界というものは、科学の力ですべて理解できるものではないのです。

 

まとめ

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以上です。

 

・体感できる世界は種族によって異なる

・同じ種族においても個体によって知覚・認知機能は異なる

・クオリア問題は科学で解決できない

・側頭葉が過活動の人間は、実際に神の存在を体感している可能性がある

 

ゆえに、私は「神の存在」を否定はできないと考えています。

 

もちろん、冒頭で述べたような宗教に絡んだ不条理なテロや差別、これは見過ごしていい問題ではありません。さらには明らかな営利を目的とした新興宗教ビジネスなど、社会としても対策は必要でしょう。

 

しかし、真に神の存在を信じている、敬虔な教徒たち。彼らの世界を否定することは、モラルに反すると思います。

 

あらゆる文化、人種、価値観、認知機能をもった人々が入り混じる現代において、他人の世界を尊重するということは、非常に重要なのです。

 

参考にした書籍