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人が生きる意味は二つある【ヒトとして、人間として】

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こんにちは。ニャンさん@nyankodearuです。

 

今回のテーマは「人が生きる意味」について。
とても大層に聞こえますが、話す内容はごくごく当たり前のことです。

 

私は「人が生きる意味」というものを、シンプルに二つに分けています。

  1. ヒトとしての生きる意味
  2. 人間としての生きる意味

 ※人を一つの生物として表現する時は『ヒト』と表記します。

 

この記事を書こうと思い立ったのは、社会で生きている中で、あまりにも「ヒトとして生きる」のみを追求している人が多すぎると感じるから。また、この二つを混同しているケースもあるようですね。

 

個人的な意見にはなりますが、興味がある方はぜひ最後までお読みいただけたら幸いです。

 

人が生きる意味は二つある

1.ヒトとしての生きる意味

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まずは人間を一つの生物(ヒト)として考えた時の「生きる意味」について見ていきましょう。

 

ヒト、犬、猫、猿、亀、魚…。
様々な生物がいますが、みなに共通している点が二つあります。

  1. 食事・呼吸をして体に必要な成分を取り込む
  2. 異性と交わり子孫を残す(有性生殖の場合)

 

この行動を客観的に見ると、生物の生きる目的は「長く生き延びて子孫を残す」ことのようにも思えますね。

 

有名な生物学者のリチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』の中で、生物という存在についてこのような表現をしています。

 

われわれおよびその他のあらゆる動物が遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである。
引用:リチャード・ドーキンス(2006年).利己的な遺伝子 紀伊国屋書店

 

つまり生命の世界における主役は遺伝子で、生物はあくまで乗り物のような機械にすぎず、遺伝子を次世代(子孫)に引き継がせるため利用されているという主張です。

 

この考えは的を得ており、つまりは「自身の生存確率を高め、優秀な異性と交配し、質が高い子孫をより多く残す」これが生物の本質的な目的と言えるでしょう。言い換えれば、この行動をとることが遺伝子にとって最も都合が良いのです。

 

???…
と思われる方も多いかもしれませんが、実は大多数の人が追い求めている「幸せ」という感情は上記の行為と密接な関係があります。

 

いくつか具体例を挙げてみましょう。

・おいしいものを食べる→栄養価を確保し生存確率を高める
・会社で昇進する→安定した地位を確保し安全性を高める
・魅力的な異性と交際する→優秀な子孫を残す確率を高める

身も蓋も無い話ですが、ヒトの「幸福感」というものは、このように遺伝子にとって都合がいい行動をとった時の成功報酬として与えられている感情にすぎないのです。

 

言い換えると、「ヒトとしての生きる意味」は、純粋に幸福感を追求し、生存確率を高め、優秀な子孫を増やし、遺伝子の複製に貢献することになりますね。

 

2.人間としての生きる意味

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次は「人間としての生きる意味」について見ていきましょう。こちらは少し抽象的な話になります。

 

「人間」とはどのような存在でしょうか。ゴキブリやコバエなどと同等な存在なのでしょうか。なんとなくですが、もう少し高次な精神を持ち行動している気はしますよね。

 

人間とは何か。これに関して明確な答えはこの世に存在しませんが、私が気に入っているのはマイケル・ガザニガが『〈わたし〉はどこにあるのか』で語っているこの主張です。

 

科学が生命、脳、精神の本質をどれほど解きあかそうと、私たちが大切にしている人間としての価値は崩れない。私たちは人間であって、脳ではないのだ。脳がつくりだす精神が、他の脳と作用しあったときに生じる抽象作用、それが私たちだ。その抽象作用のなかに私たちは存在する。
引用:マイケル・S・ガザニガ(2014年).〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義 紀伊国屋書店

 

これは「創発」という概念を取り入れた考え方で、各自の脳が生み出すのが「精神」であり、さらにそれらが相互作用することにより誕生する抽象的な存在が「わたし(人間)」であるという意見です。

 

これは非常に重要なことです。たしかに生物としてのヒトは遺伝子の乗り物にすぎないのかもしれませんが、私たちの「精神」はその乗り物から生み出された別物であり、さらに各自の「精神」が相互作用することにより「わたしという人間」が誕生するのです。

 

「精神」は自由であり、ヴィクトール・フランクルが繰り返し述べているように、「人がどのようにふるまうか」は自分の意志で決めることができます。遺伝子に支配されるように利己行動に徹することもできるし、大きな志を抱いてそれに抗うこともできるのです。

 

つまり私の結論として、ヒトが人間として生きるとは、「本能に組み込まれた欲求だけに支配されず、自らの意志で行動する」ことだと考えています。

 

自分の限られた人生の中で、周囲の人とのきずなを深め、そして自分がこの世界で何をできるかを考え、行動する。いつの時代もこの本質は変わらないはずです。

 

まとめ

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以上です。

 

今回なぜこのような記事を作成したか。冒頭でも述べたように、世の中のあまりに多くの人が「ヒトとしての生きる意味」に固執しすぎているからです。

 

  • より効率のいいお金の稼ぎ方
  • 会社で出世する方法
  • 魅力的な異性との付き合い方
  • いかに周囲に優秀な人間だと認めさせるか

 

大多数の人が一生をかけてこれらに執着し、そして死んでいきます。常に周囲の人との優劣を意識し、見栄を張り続けるのです。

 

こういった生き方を全否定するわけではありませんが、このような人達はほころびができると一気に転落するのですよ。

 

不治の難病にかかったら?

突然不幸なことが訪れたら?

社会的な成功を収められなかったら?

 

私はこのような人たちを数えきれないほど見てきました。

 

以前このような方がいました。
社会で成功を収め、大企業のトップを務め業界ではその名を知らぬ者はいない…というほどの人。病気で寝たきりになった後は病院で学歴を自慢し、会社の業績を語り、看護師や介護士に対して大声で命令し、家族にも怒鳴り散らし、そして最期を迎えました。

 

はたして彼は「人間」として生きていたのでしょうか?
それとも「ヒト」として遺伝子に利用されていたにすぎない?

 

もう一つ付け加えると、世の中には「生まれながらにして長くは生きられない子供」もいます。他にも「生殖機能が欠如した成人」や、「同性愛者」など、子孫を残すことができない人たちもいますよね。

 

遺伝子を存続することが生物の存在意義であるならば、それが叶わぬ彼らには生きる意味はないのでしょうか?

 

当たり前ですが、そんなバカげた話はありません。

 

繰り返しになりますが、精神とは脳が生み出すもので、さらに他者の精神との相互作用により生じる抽象作用が「わたし(人間)」であり、これは遺伝子の乗り物ではありません。そして、人間としての生き方は自由なのです。

 

生活をするうえで「ヒトとして生きる」ことも大事で、おろそかにしてはいけません。でも余裕ができた後には「人間として生きる」ことも考えていってほしいな~と思っています。

 

とても当たり前の話をしてしまいましたが、誰かの助けになるならば幸いです。

 

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