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宗教と科学の対立の歴史

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古来より、人々は世界各地で様々な宗教を生み出してきました。
ゾロアスター教、マニ教、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、仏教…。この他にも数多くの宗教団体があり、さらにその中でもいくつかの宗派に分かれているという状況です。

 

さて、現代は科学が発展したため、ほとんどの現象は科学的根拠に基づき説明できるようになっています。

 

ヒト(ホモ・サピエンス)はチンパンジーと共通の祖から進化した種であるし、人間に「魂」が宿っているということも認知科学の視点からは否定されています。

 

これらの発見は、各宗教の教義とは矛盾するもの。
つまり科学の発展は、すなわち「宗教の正しさの否定」にもつながってしまったのです。

 

当然、宗教と科学のあいだには数多くの軋轢が生じてきました。

 

今回はそんな「宗教」と「科学」が対立した事例について紹介します。

 

宗教と科学の対立の事例

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ここで紹介する例はごく一部ですが、宗教と科学がどのような対立をしてきたか、イメージはつかめると思います。

 

ガリレオ・ガリレイの地動説

こちらは最も有名な話ですね。
「地動説」を提唱した物理学者のガリレオ・ガリレイに対し、カトリック系キリスト教会が異端者とみなし、拷問、有罪判決を下した事件です。

 

キリスト教の教義は、もともとはアリストテレスの理論に強く影響されており、太陽と月は神により創造され、宇宙の中心である地球の周りを回っているという「天動説」を信じていました。聖書の創成記1章にも、それに関連した内容が記述されています。

 

つまりガリレオが唱えた「地動説」は、キリスト教の教義を否定し、さらには聖書に書かれた内容が間違っているという証明にもなってしまうのでした。

 

もし「地動説」が社会に浸透した場合、大衆からのキリスト教会に対する信頼を損ねてしまう。

 

非常に強い権力を持ち、政治的な要素が多かったカトリック教会は、ガリレオの提唱した「地動説」を認めるわけにはいかなかったのです。

 

最終的にガリレオは拷問の末に「地動説は誤りだった」と供述させられ、軟禁刑の判決が下されました。歴史に名を残す偉大な科学者が、教会の利己的な動機のために異端者としてその生涯を終えたのです。

 

チャールズ・ダーウィンの進化論

科学の歴史上、最も重要な発見と言われているチャールズ・ダーウィンの「進化論」。彼の理論によると、すべての動物は単純な姿から進化したもので、著書『人間の由来』では人間もその例外ではないと明言しました。
「人間は猿から進化した生物」であると述べたのです。

 

当然、ダーウィンに対するキリスト教会の批判は並大抵のものではありません。
それもそのはず、聖書によれば人間は「神によって創造された生き物」であり、進化論は聖書の内容を否定してしまうからです。

 

しかし、この時代ではすでに科学の力も巨大になっており、ダーウィンは仲間の協力も得て、無事に「進化論」を発表することができました。

 

今でこそ、社会一般にも浸透している「進化論」。
しかし、論理の中心には常に宗教が居座っていたこの時代、このような革新的な理論を発表することは、文字通り命がけの行為だったのです。

 

ナチス・ドイツホロコースト

少しだけ話の趣旨とは異なりますが、重要なことなのでここで紹介します。

 

歴史的な惨事である「ホロコースト」を引き起こしたナチス・ドイツ。ホロコーストとはユダヤ人、つまりユダヤ教の信者やその血族に対する大量虐殺事件を指します。

 

アドルフ・ヒトラーを筆頭としたホロコーストの首謀者たちの思想の根底には、「優性思想」と呼ばれるものがありました。

 

優性思想とは、ダーウィンの進化論を人間社会に当てはめ、人間には優等人種と劣等人種の二種類がいるという主張です。そして、劣等人種と認定したユダヤ人を絶滅させることで、人類全体の発展を試みる…。ホロコーストとは、簡潔にまとめるとこのような思想が招いた事件です。

 

進化論とはそもそも優劣を決めるものではなく、優性思想は進化論を誤って(都合よく)解釈したものです。発展した科学を悪用し、特定の宗教集団であるユダヤ人を大量虐殺した、人類の歴史に残る惨事でした。

 

リチャード・ドーキンスの宗教批判

現在でも存命の進化生物学者リチャード・ドーキンス。
彼は科学の視点から宗教を批判している、世界でも著名な人物です。

 

進化論を正しく理解すれば、「神」は存在しないと解釈するのは当然であるし、そもそも「宗教」は歴史を振り返ってもあらゆる惨事の種になっている。

 

さらに、宗教の理念を尊重するというならば、世界各地で行われている残虐なテロも肯定することになる。

 

このような見地から、ドーキンスは現代社会に宗教は必要がないと主張しているのです。

 

少し過激な主張が多いため、当然ドーキンスへの批判は絶えません。しかし、彼の意見は科学的な見地からは真っ当なものであり、賛同者も数多いのが実情です。

 

今後の展望は?

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このように、様々な軋轢を生みだしてきた宗教と科学の関係。
昔は政治的に強かった宗教、とくにカトリック系キリスト教会が科学を弾圧するケースが多かったですが、現在はやや立場が逆転していますね。

 

さらには近年のイスラム過激派のテロ行為により、世界的にも宗教の存在意義に疑問を抱く人は増えています。

 

宗教には、数値で分かる実利はありません。病を治してくれるわけでもないし、お金を与えてくれるわけでもない。さらにいうと、統計的には犯罪の抑止効果すらないのです。

 

宗教に対する関心が非常に薄い日本が、世界屈指の治安の良さを誇るというのも、なんとも皮肉な話ですよね…。

 

歴史を振り返ると、宗教が政治に悪用された例は数多いし、戦争の引き金にもなっています。さらには、明らかに営利目的の集団もありますよね。

 

こうしてみると、「宗教って本当に必要なの?」と思われる人も多いはず。

 

しかし、宗教を心のよりどころにし、心の平穏を保っているという人は、必ず存在しています。

 

私もイスラム教の思想そのものは好きだし、実際にムスリムの方々も親切な人がほとんどですよ。

 

さらに付け加えると、特定の宗教を信仰することが「当たり前」になっている人が多いということも念頭に置くべきです。

 

私たち日本人がお箸でご飯を食べ、自動車が左側車線を走り、死んだあとはお墓に埋葬される。海外における宗教というものは、これらと同じくらい「当たり前」のケースが多いのです。

 

今後は正直、科学の力が優位に立ち、宗教が非難されることが増えてくる…と思います。

 

しかし大切なのは、たとえ宗教を否定することがあっても、宗教を信仰する人を否定すべきではない、ということ。

 

「多様な文化を尊重する」という言葉の意味の本質を、今後はもう少し突き詰める必要がありそうですね。